兵庫県の地方公務員となり4日がたちまして。
毎日、毎時間、カルチャーショックの
連続です。
大きいのは、地理的変化によるもの。
車がないと通勤もままならない状況で、
4月1日に17年ぶりに
ハンドルを握りました。
(父に同乗してもらいましたが)
アクセルとブレーキだけ辛うじて覚えている、
象徴的に、デンジャラスな幕開けとなりました。
次に身分の変化によるもの。
今まで日本国民であることによるもの
以外、なんの保障もない人生を
歩んできたので、公務員の
あまりの守られぶりに少々戸惑っています。
やる気であればどこまでも頑張れる
恵まれた環境とも言えるし、
そうでなくてもゆるりと生きていける
ぬるい環境とも言えます。
ただ、教育現場の厳しさもあるようで、
精神に不調をきたし
休職中の教員の噂を耳にし、
バランス感覚は失わずにいたいところです。
いきなり、成績評価もしなければならない
責任も生まれましたが、
大好きな英語を教えられる場が
もてたことが何よりも嬉しいです。
但馬生まれの私にとって、京都は玄関のようなものだ。
京都で新幹線を降り、山陰線に乗るとうちに帰ってきた感じがする。
子供の頃あった保津峡の駅のあたりを、今はトンネルでくぐり抜けると大広間、それが亀岡。
園部、綾部、福知山と中国山地に分け入るにつれて、ふるさとの核心に近づく。
湿った空気。
光よりも影。
人よりも自然。
決して派手ではないが味わい深い我がふるさとである。
出発前に居酒屋馬小で泡盛二杯。泥酔。相変わらず安上がり。ランチョンミートとオリオンビールを餞別にもらう。
十七年暮らした東京を離れるのだもの。少しぐらい感傷的になってもいいだろう。
目的地は紛れもなくふるさとである。私の根っこがある場所だ。
でも今、東京も同じ言葉で呼べる。この街だから経験できた出会いがあるからだ。
昔のヒット曲には金にまみれた孤独のの街としての東京が好んで取り上げられたが、私には決してそうにはならなかった。
もちろん、すれ違った人だって大勢いる。だけどまた会いたいと思い、そうするであろう人がこの街にはいるのだ。
新幹線が動きだす。山手線は今日もここを回る。
また会おう。
東京。
寂しい時に寂しい歌を書くとは限らない。
もっと、伝えたい瞬間に伝えたい歌が
見つかれば良いのだけど、
多くの場合それは時間差を伴って訪れる。
今の私はまた、人生の転機を迎えている。
新しい生活を間近に控えている。
ちょうどめぐりめぐって今の心境に
昔に書いたある歌が近づいて来た。
桃色ゲリラの活動を通して出会った
北海道の男性に捧げた一曲である。
歌詞は以下の通り。
*****************
******わが家へ******
最終便の飛行機で帰ると電話を入れて
消灯過ぎた仕事場のモニターに視線戻す
この仕事が終わったなら この仕事が終わったなら
懐かしく愛しい ああ わが家へ
限られた時間だからこそ絆を確かに結びたい
この命の最高のものあなたに捧げたい
しばれる北の大地ではブレーキはかかりにくい
果てしない国道を心が滑って急ぐ
あの林を抜けたなら あの林を抜けたなら
紛れなくかわいい ああ 寝顔に
状況に甘えたりせずに家族を大事にしているか
あの日の誓いを忘れずに努力をしているか
白樺の上に星が一つ待ってる
*****************
バラード。単身赴任の歌。父の歌。
子供に会いたいと語っていた彼の気持ちを
慮って書いた。
子供が生まれて私は弱くなった。
一緒に時を過ごす分だけなおさら。
お風呂で頭へのシャワーを我慢した後の
娘の誇らしい顔。
ダイニングでトマトスープを一気に飲み干す
真剣な顔。
公園でブランコに揺られて
まどろむ顔。
なにげないが、
かけがえのない日常を
私はおそらく失うのである。
親というのは切ない生き物である。
教師になる前に、どうしても仕上げておきたい曲が一曲あり、
家事の合間に制作している。
僕の抱えるテーマは、大きく三つ。
一つは、性。
もう一つは、自然。
そして、新しいテーマとして家族。
今回取り組んでいるのは
自然に関するものだ。
久々の作曲ということもあって、
音楽の構造について、
また構造の諸要素の持つ意味について、
さらには自身の創造の過程について考える。
その中で、音楽の構造についてであるが、
周波数や、空間的広がりと並べて、時間
(TIME)を軸においていたのだが、
それをテンポと変えてみた時に、
自分としての大きな発見があった。
それは、TIMEは神の領域で
圧倒的な支配力のもとに、人間はなす術がないのだが、
テンポは主体的な、おそらくは鼓動を基準とするものであるということだ。
そう考えたとき、周波数、空間的広がりにも
同じく、主観的な視点がはっきりと
浮かび上がって来たのである。
それに気づくことによって、
音楽とは、人に対する、さらには神に対する
人間のささやかだが確かな営みなのだと理解できた。
考えてみると、世界中に、宗教音楽なんてものは
あるわけであるし、至極当然のことなのだろうが、
個人的には、今まで、そういう角度から音楽を見たことが
なかったので、大いに感慨にふけったのである。
受験指導も一段落つき、主婦業に邁進する毎日である。
これといって母から娘への手ほどき
のようなものは受けていないので、
料理を始めとして基本的に独学である。
主婦業をまじめにやってみて、思うのは、
この仕事、尊敬されんな、ということだ。
いや、むしろ、軽視されているというか。
金を稼ぐことは、そんなに偉いことなんだろうか。
さらには、
女性が働いて、男性が家事をすることに
対して違和感を感じる輩が
少なからずいるということ。
価値観の相違はあって当然であるが、
いちいちその違和感を表明してくる
方々には、ハッキリと申し上げたい。
余計なお世話なんだよ。
まあ、そう言う自分の中にも、
そういう伝統的価値観の
縛りが全くないわけでは
なかったので、その縄を今、自主的に
ほどいておく。
大事なのは、家族。
なのである。
今日はささやかながら重要な一日だ。
一つは、成美が新ユニット、ピヨラビ名義で
CDを発売したこと。
秋葉原の石丸電機で一週間インストアライブを
開催するらしい。
「光のキャンベル」。どうか、多くの人を乗せて
新しい時代に旅立ちますように。
そして、また、ささやかながら、
私も、音楽活動を再開した。
活動休止前、どれだけのことができていたか
謎なのだが、とにかく、リハビリだ。
キーボードの埃を落とし、
機材を繋ぎ、
アプリケーションを立ち上げる。
そして、心に決めていた楽曲を
打ち込んでゆく。
慌ただしい毎日に、
わずかに許された時間。
ぎこちない再会なのだが、
今までよりもっと音楽を
深く愛せる予感がしている。
正月の深夜に考え事。
今年は転地転職、変化の激しい年になりそうだ。
あらためて、自分の立ち位置を見つめ直す。
家族経営という、重大な任務を預かった今、
ご多分にもれず、自由な時間はそれほどにない。
また、そういう状況だからこそ、
この先の人生もそんなにふんだんに時間が
あるわけでもないことにも気づかされる。
僕が人生を通してやりたいことはなんだろうか。
アバウトな言い方をするなれば、
一つに絞ることができる。
それは、「平和な世界を作るために努力をすること。」
そのため、できるかぎり続けてゆきたいことは、
家族、音楽、教育、そして、ヨーガ。
これが、僕の方法論だ。
それぞれが、有機的に絡み合い、一つの目標に向かって
進んでゆく。
あまりにもラフなつくりの人生の羅針盤なのだが、
基本のベクトルはぶれさせない。
教師になろうと思う。
科目は英語だ。
振り返ると、いつも英語があった。
初めて聴いた、アメリカのヒットソング、
AETに抱いた、淡い恋心。
歌詞としての英語。
無気力な腰掛け会社員時代、
仕事仲間だった、アメリカ人たち。
ビジネスとしての英語。
ニューヨークで、
尊敬するソングライターと交わした英語。
塾で教えている、アカデミーへと続く英語。
この、英語は、どれだけ、僕の世界を
内的に、外的に広げ、深めてくれたことだろう。
言語は、窓によく喩えられる。
その窓の数だけ、
違った景色が見れるのだと。
だけど、僕は、ドアだと思っている。
そのドアを通って、色々な出会いを
するための。
自分の出会う生徒が、
英語を通して、
心の、そして、文字通り空間の、
冒険をしてくれたなら、どんなに素敵だろう。
そして、その、ドアの向こうには、
多種多様な人がいることに気づいてほしい。
それは、映画や小説の登場人物かもしれないし、
オフィスで机を並べるアメリカ人や、
インド人かもしれない。
彼らと、対等な関係で、対話できるような
そんな人間を育ててみたい。
中学には道徳の時間があるらしい。
平和、健康、扱いたいテーマはたくさん
ある。その中でも、
全人格をかけてやってみたいのは、
人権についてだ。
この世界には様々な人間がいること。
在日朝鮮人、アイヌのこと、沖縄のこと。
そして、もし、
男性でも、男性を好きになることがあること、
女性でも、女性を好きになることがあること、
そんな僕にとってあたりまえのことを
あたりまえに語れることができたなら、
どれだけ、
不必要な心の傷を減らすことができるだろう。
全身全霊で生徒たちとぶつかってみたい。
僕は、教師になる。
仕事、家庭、勉強。毎日がめまぐるしく過ぎてゆく。
しかし、今まで生きてきた中で
こんなに心が歌を歌ったことはなかったとも思う。
アイロンで描く軌跡。それを目で追ってはしゃぐナッツ。
生活のすべてが音楽みたいだ。
実際よく歌っている。お風呂で居間で公園で。
今はただナッツのために歌っているが、今、予感としてあるのは、次に周りに歌を聞かせるとき、それはみんなのものだろうということだ。
次の自分の作品は多くの人と共有できる普遍的なものになるだろう。